サピエンス全史批判から始まること2018年12月19日 12:35

全世界で800万部というサピエンス全史ですが、歴史観として的を射ていると言えるでしょうか。認知革命が繁栄をもたらしたと言うけれど、そこに至る歴史を語ろうとしていません。昔のことは分からない、と繰り返しています。
「ライオンは神である」という認識は、果たして突然生まれるものなのか。大きな集団をまとめるために宗教があるように言うけれど、逆ではないか。人類は集団の力で環境の激変を乗り越えたのだとすれば、集団をまとめる力は、最初から求められていたはずです。集団として情報を共有するという「見えないものを信じる」力を育てたから、大きな集団へと発展したのではないか。大きな集団での「見てない情報」を共有する力が、見えない神を信じる源泉なのではないか。見えるものを捉えて生き残る世界から、見えないものを信じる世界へ、それは、情報の共有がもたらしたものであると思います。「認知革命」は、人類の歴史の中で何度も訪れたのだと思います。
何故、お釈迦様は人間なのに仏教は大きな宗教になったのか。何故、孔子は人間なのに儒となったのか。
その時代、「見えないもの」を信じることは、現代のように人類の常識ではなかった。神秘、はあっても「神の力」を信じる心は、まだ大きくはなかった。だから、日本にも「神」はいたのに仏教を採用したのでしょう。
このような見方は「人類の誕生から考える 『神』様の歴史」を執筆することで辿り着くことが出来ました。「神様にも歴史がある」人類は具象的なものを崇めることから精神の旅路を歩みはじめ、抽象的思念の世界が拡がることで、神の世界も大きく育った。私は神秘の世界があることを否定しませんが、それは「神」の力ではなく、自然のありようです。この考えをさらに深めて、「昔のことは分からない」ではない人類の歴史について考えたいと思います。